日本経済はなぜ30年以上も停滞し続けているのか?

池田信夫《失去的二十年–日本経済長期停滞の真の原因》一書中、日本経済が失った二十年について述べている部分は、1989年から2009年までの間、日本経済は長期にわたり停滞していたことを指している。実際、この停滞状態は2019年頃まで続き、「失われた三十年」と呼ばれている。本稿はその書籍の読書ノートであり、日本経済の停滞の主な原因について整理したものである。日本の経済金融政策の成果と失敗を研究することは、私たちの政策立案にも参考となる。

上図は日本の1955年から2025年6月までの年間GDP曲線図である。これを見ると、「失われた三十年」期間中、曲線は平坦で、経済はほとんど成長せず、時には下降も見られる。2020年以降は、大規模な景気刺激策や米中など外需の増加により、経済は明らかに回復し、それとともに2020年以降、日本の不動産市場も大幅に上昇している。日本経済が30年間停滞した主な原因は以下の通りにまとめられる。

一、プラザ合意と金融自由化による資本市場・不動産バブル

日本のバブル経済の直接的な原因は、1985年9月のプラザ合意である。合意後、円は大幅に高騰し、240円/ドルから150円/ドルへと上昇した。日本はこれに対抗して「円高不況」を避けるため、法定金利を史上最低水準にまで引き下げた。同時に、日本は金融自由化を推進し、銀行と証券の業務を混合させ、資金が株式市場に大量に流入した。一方、不動産市場では、1980年代に土地価格が上昇し続け、「土地神話」が形成され、信用資金が絶えず不動産に流れ込んだ。日本の株式と不動産のバブルは次第に膨らみ続けた。

バブル経済を防ぐために、日本銀行も金利引き上げを試みたが、政治的な抵抗に遭った。1990年代にバブルが崩壊した後、銀行の不良債権が積み重なり、信用収縮が起こり、企業の投資意欲も低迷、長期にわたるデフレが続き、最終的に「失われた三十年」へとつながった。

二、バブル崩壊後も引き締め政策を継続し、経済悪化を招く

日本のバブル崩壊のきっかけは、1989年5月に日本銀行が法定金利を引き上げたことと、1990年3月に財務省(中国の財政部・人民銀行・金融監督局・税務総局に相当)が不動産融資の総量規制を実施したことである。1990年1月に株価は暴落し、その後も財務省と日本銀行はバブル崩壊後も資産膨張を抑える政策を続け、景気はさらに悪化した。やっと1991年7月に金利引き下げが行われた。

三、銀行システムの問題と救済銀行への資本注入

1990年代、日本政府は、危険な銀行や資産の詳細な調査を行わず、長期信用銀行や日本債券信用銀行に対し、公共資金8000億円を注入した。しかし、これらの銀行は数ヶ月後に破綻し、財政資金の無駄遣いとなった。このような粗放な救済政策は、不良資産を抱えた銀行がリスクを隠し、清算を避ける結果となり、最終的には国有化された。これらの銀行は「ゾンビ銀行」と呼ばれ、金融システム全体の効率性に悪影響を及ぼした。

日本の金融危機終息の背景には、ゼロ金利政策により預金金利が低迷する中、預金者の資金が銀行に流れ込み、借入金の利息を通じて「ゾンビ銀行」が再生し、バブル崩壊の損失を埋め合わせた側面もある。

統計によると、1992年から2005年までの間に、日本の家庭の預金から得られる利息は2830兆円に達し、「ゼロ金利政策が日本経済の回復をもたらした」とも言われるが、そのコストは国民が負担した。

四、財政刺激策の効果は限定的であり、政府債務を大幅に増加させ、長期的な景気低迷を招く

多くの実証研究は、財政政策とGDP成長の間に明確な相関関係がないことを示している。財政支出は主に固定資産投資に集中し、消費を効果的に刺激したり、税収増に直結したりしない。日本は1990年代に大規模なインフラ整備を行ったが、短期的にはGDPを大きく押し上げたものの、その効果は長続きしなかった。むしろ、大規模なインフラ投資は労働人口を低成長地域に固定化し、経済の回復を妨げるとも指摘されている。

実際、日本は1970年代に「均衡発展」の全国総合開発計画を提唱し、財政資金を均等に配分することを求めた。1990年代の経済政策の指導の下、地方への財政支出は100兆円以上に達し、大規模なインフラ整備に充てられた結果、戦後初の人口逆流が起き、都市から地方への人口流動が進んだ。

こうした財政投資は全体として効率性に欠け、政府債務の増加を招き、経済の長期停滞に拍車をかけた。著者は、財政投資は大都市のインフラに集中させ、都市のキャパシティを高めるべきだと提言している。

五、官僚制度と日本式の固有の請負モデルが、新たな産業革命において情報通信(ICT)分野の競争力を失わせる

官僚主導の産業政策は、既得権益集団の影響を受け、技術革新を促進できない。例えば、2007年に経済産業省が策定した「情報大航海プロジェクト」は、次世代の検索・解析技術の開発を目的としたが、最終的には何をすれば良いのか分からないプロジェクトに終わった。支援者は官僚の御用理科学者たちで、政府の審議会で議員の役割も担い、予算獲得や研究資金を得て、最終的には自分の学生に仕事を委ねる請負組織を形成した。

また、NTTのような国営企業の民営化後の巨大企業も、通産省などの官僚の干渉を受け続け、技術革新は行政指示に縛られ、市場競争のメカニズムが十分に働かない。この政官の結びつきは資源の誤配分を招き、民間の革新企業が公平に競争できず、ICT産業のエコシステムは硬直化し、研究開発の効率も低下、結果的にモバイルインターネットの重要な成長機会を逃した。

日本の伝統的な請負構造も、ICT産業の競争力喪失の一因である。例えば、トヨタなどの日本企業は、長期的な取引関係を重視する日本式の請負モデルを採用し、コア企業がリスクを負い、長期的にサプライヤーと協力する。統計によると、日本の自動車メーカーのサプライヤーは一般的に300社未満で、長期契約が多い。一方、米国の自動車メーカーは2000社以上のサプライヤーと1年契約を基本とし、モジュール化された開発・生産を行う。日本の請負モデルは協調性は高いが、IT業界のソフトウェア開発や電子部品生産には適さない。

六、終身雇用と年功序列制度が、社会の進歩意欲を失わせる

終身雇用と年功序列制度は、「日本型雇用」モデルの核心を成すものであり、年齢と経験に応じて給与が上昇し、社員とその家族の生活を保障する仕組みである。年功序列制度の下では、社員は新入社員から係長、局長、最終的には高位の役職に昇進する。これにより、日本は「昭和神話」を築き、戦後わずか30年で世界第二位の経済大国に成長した。

しかし、経済社会の発展と産業の変革に伴い、これらの制度には問題も顕在化している。

1.終身雇用は人材流動性を阻害し、非正規雇用が増加

終身雇用制度では、企業の採用コストや解雇コストが高く、社員が自己都合で辞めない限り、解雇は難しい。この制度は社員の安定をもたらす一方で、人材の流動性を低下させ、柔軟な労働市場の形成を妨げている。コスト削減のため、企業は非正規雇用を増やす傾向にある。1980年代から日本は非正規雇用を導入し、2019年には総務省の統計によると、派遣や請負などの非正規雇用者は2165万人に達し、全労働者の38.3%を占める。非正規雇用者は正社員と比べて賃金や昇進の機会が少なく、格差が拡大している。

2.この雇用モデルは効率低下と世代間対立も引き起こす

正社員の中には、解雇されにくいために怠惰になる者も出てきている。仕事をサボったり、無為に過ごしたりする「窓際族」が出現し、一定年齢(50歳未満でも)になると、窓際の席に座り、退職まで時間を潰すケースもある。一方、若者は高品質な仕事の機会を得にくく、世代間の不公平感が生じている。

3.日本人のリスク負担とイノベーション意識に影響

終身雇用と年功序列制度は、日本独特の職業観を形成し、多くの日本人は官公庁や大企業で働くことに安全性を見出している。この考え方は、国民のリスク負担やイノベーション意識を抑制している。日本人はリスクを避けるために貯蓄を優先し、起業に踏み切る人は少ない。金利はリスクの価格を示す指標だが、日本の金利は長期間0%に近く、ベンチャー投資の機会も少ない。

現在、労働市場の需給逆転により、日本の伝統的な職場文化は崩壊しつつある。2024年4月時点で、新卒者の30%以上が3年以内に最初の職を辞めると予測されている。**$VIRTUAL **$IR

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